SDGsなプロジェクト
九州の企業が取り組むSDGsプロジェクト
先人たちの知恵に学び生き方を考える。私たちは、この不確実な時代のなかで次世代に何を遺していけるのだろうか?
株式会社カグヤ
株式会社カグヤ
住所 : 東京都千代田区神田神保町1-1-17 東京堂神保町第3ビルディング8階
TEL : 050-1744-8823
https://www.caguya.co.jp
ブロックチェーンでまちづくり&人づくり
2021年11月15日に開催された「福岡県ブロックチェーンフォーラム (主催:福岡県) 」にて、飯塚市の片峯市長は「飯塚市ブロックチェーン推進宣言」を発表した。飯塚市の産学官が結集し、連携を図りながらブロックチェーン技術に取り組むもので、かつての“石炭のまち”が日本を支える“ブロックチェーンのまち”として進化することを宣言したものだ。
ブロックチェーンとは、一般に「取引履歴を暗号技術によって過去から1本の鎖のようにつなげ、正確な取引履歴を維持しようとする技術」とされている。データの破壊・改ざんが極めて困難で、障害によって停止する可能性が低いシステムが容易に実現できる等の特徴を持つことから、銀行業務・システムに大きな変革をもたらす可能性を秘めていると言われる (以上、全国銀行協会) 。さらに、すべての参加者が自律して取引履歴をコピーし続けており、システムの中央となる管理者が存在しないこともブロックチェーンの大きな特徴のひとつと言える。従来のデータ管理システムは中央集権型システムと呼ばれ、参加者の取引データのすべてを管理者であるサーバーが管理しているが、ブロックチェーンでは管理者が存在せず取引データを自立した参加者同士が管理している「自立分散型システム」と呼ばれる。
「そもそも飯塚市では、2002年に『e-ZUKAトライバレー構想 [註1] 』を発表し、新産業創出のための動きを続けてきました。飯塚市には、九州工業大学情報工学部や近畿大学産業理工学部があり、ブロックチェーン技術開発の専門家である株式会社chaintopeさんや、人材開発に欠かせない“場づくり”の専門家である株式会社カグヤ (以下、カグヤ) さんとか、周りを見渡せば必要なリソースが飯塚に根付いてきていたんですね。だったら今こそ『ブロックチェーンでまちづくり&人づくり』を本格的に推進するタイミングじゃないかというので『飯塚市ブロックチェーン推進宣言』をしたんです」と語るのは、飯塚市 経済部経済政策推進室 大隈友加さん。この「飯塚市ブロックチェーン推進宣言」を実現するために生まれたのが FBA (フクオカ・ブロックチェーン・アライアンス) で、産官学連携のプロジェクトを具体的に推進している主体である。「これまで、自治体が行う地域振興施策と言えば、域外から企業を誘致してきて、産業と雇用を創出して『人口が増えました。税金が増えました。地域振興です』みたいなものが多かったと思います。私たちが取り組んでいるFBAは、少し違います。ブロックチェーンという技術の可能性というか、その価値を共有できる皆さんで、本当にやりたいと思っている担い手の方々、それは企業だったり大学だったり専門家だったりが、それぞれにやりたいことを連携しながらやるチームなんです。極端に言えば飯塚に住んでいなくても、ブロックチェーンの可能性という共通の価値で飯塚に繋がってくれている人材でもOKだと思っています」と大隈さんは語る。
[註1] 近畿大学産業理工学部や九州工業大学情報工学部という理工系大学があり、産業支援機関や研究施設が集積している飯塚市の特性を活かし、新産業創出のために、産学官連携の推進や起業家の育成、ベンチャー企業支援、研究開発型企業の誘致を進める飯塚市の取組み。
FBAでは、人材の育成、場の醸成、産業クラスターの組成など、産学官連携の座組みを活かした具体的な取組みがすでに始まっている。「ブロックチェーンの仕組みは、一般生活者の方にはなかなかピンと来ない部分もありますよね (笑)。だからブロックチェーンを意識せずに、皆さんが『便利だね』って思える世界を作りたいなと思っています。具体的な実証実験も始めています。飯塚市が発行する所得証明書などの公的な証明書で、スマートフォンやタブレットを使って電子証明書として交付する場合、発行元のなりすましや文書の改ざんを防止した“本物の”電子データで発行する実証実験です。その電子証明書が正しいのかどうか、発行元も利用する人も運用する人も、お互いで理解できる世界を実現するための実験です」と言う大隈さん。
古民家群を再生させエンジニアたちの実践の場に
このようなFBAの取組みのひとつに、カグヤが主体となって進める「ブロックチェーンストリート構想」がある。飯塚市内の古民家群を再生させ、それらを国内外のブロックチェーンエンジニアや企業が連携できるコワーキングスペースやシェアオフィス、シェアハウス、宿泊施設として活用し、同時にエンジニアの心身の健康維持とさらなる創造性の発揮を助けるような“場”を生み出すことを目標としている。「飯塚市が『アジアのシリコンバレー』を目指してさまざまな取組みをしているのは、株式会社ハウインターナショナルの共同創業者である故高橋剛氏が描いた夢でした。僕らはその夢が潰えないように『ブロックチェーンストリート構想』に取り組んでいます」と語るのは、株式会社カグヤ 代表取締役社長 野見山広明さん。「高橋くんは『e-ZUKA TechNight』という、飯塚のエンジニアたちが集まって、技術についてだったり生き方についてだったり、みんなが自由にしかもディープに話し合える“場づくり”をボランティアでやってました。僕らはその“場”をきちんと受け継いでさらに深化して、ブロックチェーンの技術者たちがそのポテンシャルをしっかり発揮できるような“場づくり”をやっています」。
この「ブロックチェーンストリート構想」における“場づくり”の主な拠点がBA (Blockchain Awakening) である。「BAは、伝統的な古民家を活用して、日本の先人たちと同じ暮らし方を通して、エンジニア一人ひとりの人格を磨くための“場”の道場です。僕らは“場づくり”と言っていますが、それは利害関係で繋がっていたり、そこに参加するのにいくら払いますということではなくて、参加者がお互いに目的を握っているというか、価値を共有している状態を意味します。ブロックチェーンの技術そのものはDAO [註2] と呼ばれていて、今、エンジニアたちはDAOをデジタルの世界で実現しようとしてがんばっていますが、彼らはリアルなDAOを見たことがない。じゃあリアルなDAOはどこにあるのかといえば、伝統的な日本人の里山の暮らしの中にあるんですね。共同体を維持するという共通の価値のために、報酬がなくてもお互いに進んで力を合わせて支え合う、そんな日常こそがリアルなDAOなんですね。だから古民家を改装したBAを舞台に、日本人の文化や思想、そして民族伝承や先人の知恵などを実体験しながら、リアルなDAOを実践してみること、そこから育まれる精神性を大切にしてます」と野見山さんは言う。
[註2] DAO (Decentralized Autonomous Organization) は分散型自律組織と言われる組織の形態。組織を統率する代表者が存在せず、参加者同士で意思決定され、組織運営のルールも透明性が高く、誰でも参加ができるなどの特徴がある。
飯塚の歴史に学ぶ「ストリート構想」
「それにストリートにすることにも意味があって、飯塚という街は、古くは長崎街道の宿場町として栄え、人々が往来し、モノも文化も行き交い、往時の建物も数多く残っているストリートなんです。そういう歴史があるのは、元来、飯塚は地政学的に人やモノ、情報が行き交う結節点になる特性を持っている街なんだということです。その特性を“昔のハナシ”にしてしまうのではなく、そこに学び、それを現代に活かすことに大きな意味があります。僕らには時間の概念があるので、常に“進んでいる”感覚がありますが、あるときには昔に“還る”感覚もありますよね。飯塚の特徴として、街道筋で人もモノも往来していてっていうのが“続いている”から、いつでもそこに“還る”ことができる。自分の暮らしを営む場所の特性を知り、それを活かし、共生しながら暮らしを持続させること。その精神性もまたリアルなDAOにつながるものです。国際都市として常に新陳代謝を繰り返す福岡市と、ものづくりの技術と知恵が集積する北九州市と、その2大都市とちょうど良い距離感で結節点として人や情報が往来する飯塚市は、まさにDAOを実現する“場”としては最適だと思います。国内には他にもブロックチェーンでまちおこしに取り組んでいる自治体がいくつかありますが、これは飯塚市だからできることです」。
野見山さんは続ける。「ブロックチェーンのエンジニアは、わりと社会貢献というか、自分たちの技術を活かして、どのように社会に良いことを生み出そうかって考える人が多いように思えます。飯塚に来ると、アナログでもデジタルでもみんなが助け合って暮らしながら未来を作る、そういうDAOの世界観があって、そういうことをやるのに飯塚は居心地が良い街だねって、みんなが思えるような“場づくり”を目指しています。フラット型でもなくプラミッド型でもなく、それぞれバラバラだけど自然に協力し合う組織とか社会を作る。今は、これから人類がアップデートしていかなきゃならない時代なので、そういう社会の在り方とかその良さとかを発信していかないと、後に続く人がつながっていかないと思っています」。
BAの敷地内の一角にはブロックチェーン神社がある。主祭神は八意思兼神 (ヤゴコロオモイカネノカミ) 。日本の神話に登場する「知恵の神」で、天岩戸に隠れた天照大御神 (アマテラスオオミカミ) を岩の外に出すための知恵を神々に授けたとされる。埼玉県の秩父神社から正式に分霊され、この地を見守っているそうだ。技術だけでなく、社会をどうより良く変えていくか、その知恵を持ち寄って磨きあう、この“場”を象徴しているように思える。
保育でまちづくり&人づくり
カグヤの創業は2002年。最初に飯塚市における「ブロックチェーンストリート構想」について触れたが、事業の柱と言えるのは保育の現場におけるコンサルティングである。『子どもが憧れる人たちと憧れるような未来を創造する』ことを目指し、すでに600施設以上で“場づくり”を行なっている。続いて、具体的な保育園の運営におけるカグヤの役割を見てみよう。
取材に伺ったのは熊本県菊池市にある社会福祉法人 新明福祉会 新明保育園。菊池市は熊本県の北東部にあり、山岳が連なる山林や、清流で知られる菊池渓谷など豊かな自然に囲まれた地域で、菊池平野を中心に肥沃な土地にも恵まれている。特に新明保育園がある旭志 (きょくし) 地区は、古くから酪農業や畜産業が盛んで「旭志牛」というご当地ブランド牛がある。
「旭志は酪農や畜産が盛んで、専業の方も多いし後継者もしっかり育っています。旭志で生まれて、若いうちは (旭志を) 離れて暮らしていても、いずれは家業を継ぐため旭志に帰って来て結婚、出産そして子育てをする。あるいは隣町から通って実家の仕事を継ぐ。その際、子どもはうちの園へ預けてくれるなど、卒園して親になった保護者が沢山いらっしゃいます」と教えてくれるのは新明保育園 主任保育士 前田澄代さん。「新明保育園は、もともとは別の方が経営されていたのですが、私はその当時に保育士としてここで働き始めました。ところが事情があって元の経営者の方が保育園の経営から離れることになり、園を引き継いでくれる人を探していたところ、突然、私の父が手を挙げて経営を引き継ぐことになったんです。当時、父は建設業を営んでいて、保育に関してはまったくの素人。それでも『地域の皆さんにご恩返しをしなければ』という強い想いだけで園を守っていました。その父の想いを受け継いで、次の世代に伝えていきたいと思います」と前田さんは語る。
自分たちの内側から出てきたコンセプト
園長を務める榊 青子さんは前田さんの実姉。父の想いを姉妹で受け継いで保育園の経営を続けている。「父の想い、私たち姉妹の想いを、職員たちや旭志の皆さんに受け継いでもらうために『コンセプトブック』を作りたいねって話をしていたんですが、具体的にどうしたらいいか分からない。(カグヤの) 野見山さんに出会ったのはその頃ですね」と言う榊さん。「野見山さんは、まず私たちや職員たちを集めて勉強会やワークショップをしながら、私たちの内側にある考えや気持ちを全部出し合うことから始めてくれました。野見山さんが、私たちや園内のスタッフ何人かにヒアリングして『じゃあコンセプトはこれでいいですね』みたいに提案されるのではなく、私たちの考えや想いをとことん出してくださって、それを整理して、最適な言葉を探すのを手伝っていただき、私たちの中にあるものを『コンセプトブック』にまとめてくれました。野見山さんは言わば水先案内人ですね。だから、『コンセプトブック』はみんなで作った、自分たちで作ったと思えるし、なによりその過程で、職員たちとしっかり理念合わせができたのでよかったと思っています」と振り返る。
そうして生まれた『新明保育園 コンセプトブック』には、「地域の見守りに感謝し、その真心やつながりを子どもたちへ伝承していくことで、日本古来の心を持てる健やかな子どもを育てます」と園の理念が記されている。「父が (園の経営に) 手を挙げたとき『旭志に保育園がなくなったら大変だ。自分たちだってお世話になってきたんだ。今度は自分が皆さんの役に立たなければいけない』と言っていました。その根幹にあるのが“感謝の気持ち”なんです。それは日本古来の心の根幹でもあります。地域の自然や恵みがあるから私たちは暮らすことができる。だから子どもたちと一緒に地域の氏神様に参拝して感謝の気持ちを捧げています。私たちも地域の皆さんが子どもたちを預けてくださるから生きていくことができる。職員たちが一緒にいてくれるから園を守っていける。だから地域の皆さんにも感謝、職員にも感謝。私たちが一番大切にしているのはそういう“感謝の気持ち”です」と語る榊園長。
「子どもたちの経験を見守る」ことの大切さ
「園の正面に掲げている看板に『子ども達の“ふるさと”になる保育園をめざしています』と書いています。私たちは地域の皆さんから子どもたちをお預かりして、卒園とともに地域に還します。卒園の時は、子どもたちがそれぞれに植えたお花を持って地域のお店などにご挨拶に行きますが、それは『いよいよ卒園して行動範囲が広がります。近くで見かけたら旭志の仲間としてよろしくお願いします』という意味を込めています。受け取った大人たちは、通りを歩く子どもたちの姿を見守ってくれます。地域に還すというのはそういう意味です。卒園して、それで終わりではなく、同じ地域の住人として、私たちだけでなく地域の皆さんと一緒に子どもたちを見守りながら、園にいた時に経験したことや感じたことを大切に思ってくれて、旭志の自然や産業に感謝して、地域の人たちに感謝して、そんな大人に成長して旭志の良いところを受け継いでくれたらと願うのです。そして子どもが生まれたなら、また新明保育園に預けていただいて、その良い循環を次の世代につなげていけたら」と語る前田さん。新明保育園の保育とは、つまり旭志の未来へと続くまちづくりと人づくりそのものと言える。「卒園した子で、大学に入学や就職するために旭志を離れる時にわざわざ挨拶に来てくれる子がいます。旭志に残っている子で、大人になっても、なんの用事か分からないけれどひょいと顔を出してくれる子もいます。父が私たちに残してくれたように、私たちも旭志の皆さんと一緒に新明保育園の理念を残していかねばならないと感じています」。
新明保育園の保育方針には、あるキーワードがある。それが「子どもたちの経験を見守る」である。前田さんは言う。「園では、子どもたちにできるだけたくさんのことを経験させてあげたいと思います。炭を使って竹筒でご飯を炊いたり、竹馬を自分たちで作って、壊れたり傷んだりしたら自分たちでメンテナンスしたり、キャッシュレスが当たり前になってお金の大切さが実感できないので、実際にお金を使って買い物をする体験をしたり。大人たちが『あれはダメ』『これで遊びなさい』と指示するのは、大人が作った正解に誘導しているだけだから大人たちにとってはラクです。でも子どもたちの発達というのは人それぞれなので、大人が作った型にはめることはできません。新明保育園では、子どもたちがいろいろなことに対して自分たちの意思で選んで行動できるように、そして大人たちは子どもたちの自発的な行動をしっかり見守って、適切なタイミングで褒める。逆に良くないことをしたら、なぜそれが良くないのかを一緒に話して共有する。そんなことを毎日積み重ねています」。
子どもたちが自分で選び、考え、チャレンジして、もし失敗してもできるようになるまで自分の意思でがんばる。大人たちは、子どもたちが夢中になれる機会をできるだけたくさん用意して、子どもたちががんばったことは褒める、時には叱って“なぜ”を共有する。理念として「子どもたちの経験を見守る」と掲げることはできても、それを実践するのはとても難しいことだ。なぜ新明保育園では実践できるのか? それは誰かが作ったコンセプトではなく、自らの内側から出てきた言葉だから。そこに、カグヤがつくる“場”が持つ力強さが見えてくる。
「子どもたちが憧れる未来」の実現のために
飯塚市における「ブロックチェーンストリート構想」、菊池市における保育園のコンサルティングと、カグヤが取り組む現場を2つほど見てきた。エリアもテーマも異なる2つの事象ではあるが、そこには共通の世界観やキーワードが見え隠れしている。最後に、そもそもカグヤという企業は、どんな考えでどんな社会を生み出そうとしているのか深堀りしてみたいと思う。カグヤがさまざまな繋がりと学びの“場”として活用している、築120年の古民家「聴福庵 (ききふくあん) 」で話を聞いた。
「カグヤという会社は『子どもたちが憧れる未来』を創造することを目指しています。その行いは子どもたちが憧れるようなものなのか? 自分たちの在り様は子どもたちに憧れてもらえるようなものなのか? 僕たちの行いにより生まれる未来は子どもたちが憧れるような未来に続いているのか? そういう価値基準で、これまで保育の現場を中心に、人づくりや理念づくり、それを実現する具体的な“場づくり”を行ってきました」と野見山さんは話を始めてくれた。「ここで言う“子ども”とは、身体的や年齢的な子どもではなく“子どもごころ”という意味です。たとえば、田舎の里山におじいちゃんとおばあちゃんが仲良く暮らしている姿を思い浮かべてください。目の前には里山の風景があって、2人で縁側でお茶を飲みながら、穏やかな表情を浮かべているような、あのシーンです。里山の自然と共生し、自分たちのペースで生命をまっとうする姿は、日本人の多くが憧れる共通の価値として、『私もそんな風に生きたい』と自然と思えるのではないでしょうか? 僕たちは、そういった自分の内側から生まれる純粋な欲求を“子どもごころ”と捉えています。他人からの評価を気にして、誰かの役に立つことばかりをがんばって続けていると、本当に自分が『やりたい』という気持ちに蓋をして、仕事が忙しくて自分と向き合う時間がないと言い訳をしながら、自分を傷つけたり諦めたり、我慢したり嘘をついたりしながら暮らしていることに気がつくと思うんです。社会の仕組みの中で“そうは言っても仕方がないんだ”とか、”子どもじゃないんだから“とか、内側の自分を無理矢理に押さえつけて外側 (社会的な) の自分を生きてしまう。そうじゃなくて、自分の内側から湧き出る願いをちゃんと聞いて、それを伸ばして実現するためにどうすればいいのか? そんな社会を実現するためにはどうすればいいのか? そんな社会こそが『子どもたちが憧れる未来』だと思うので、私たちはそれを常に意識して行動しています。まずは、私たちがそんな会社でありたいと思うので、きちんと理念を作って、理念ブックにまとめて、社員同士で自分たちの行動や働き方が、その理念から離れていないか? 何かを犠牲にして働いていないか? なんのために働くのか? いつもディスカッションしながらお互いにフォローしあっています」。先に紹介した新明保育園における理念の共有と伝承、見守りの取組みは、まさにカグヤという企業において自分たちが実践していることそのものなのだ。
古民家は先人たちの知恵を実践する場
野見山さんとの話は続く。「古民家の再生に関して言えば、その“子ども”というキーワードが“子孫”に拡大しているんですね。僕たちが生きている今というのは、ご先祖様が『子どもたちが幸せで永続的に暮らしていけるように』って作ってくれて、譲ってくれた環境や食べ物や文化や資源で成り立っています。僕らはご先祖様の徳の恩恵を受けて生きています。今、もし僕らがそれらを使い切ってしまうと子どもたちには遺すことができません。すでに使い切ってしまったものもあるんですよね。僕の息子はうなぎが大好きなんですが『僕が大人になってもうなぎが食べられるかなぁ』って訊かれても『このままだと無くなるかもしれないね。何か代わりになるものは生まれるかもしれないけれど』って答えなきゃならない。だからご先祖様がしてくれたように、僕たちも子どもたちに遺したい。それは、知恵とか、徳とか、伝統的な文化や精神、暮らしとかですね」。
「そういうものを学ぶ場としては、古民家が最適だと思うんです。古い文化財なんかでよくあるのが、保存して観賞用にしてしまうとホルマリン漬けみたいになってしまって、その生命はそこで終わるんですね。その歴史の連続は“もう終わったもの”として扱われてしまう。僕はそれが嫌いなんです。本来、ご先祖様から譲ってもらったそういうものは使って寿命を伸ばして次に渡すものだと思うんです。『今だったらこう使えるよね』とか『これはこうやって活かせばいい』とか考えて、古いから捨てるのではなく、今まで続いてきたものとは別の使い方をしてさらに新しい歴史を作っていく。今は、役に立たなかったらすぐに捨てる風潮が強くて、それは人に対してもそうで『使えない』って言ってすぐクビにする。たとえば、この聴福庵で使っているお風呂は、元々は旧くから続く味噌蔵で使われていた桶で、70年くらい前のものだそうですが、それを譲り受けてきて綺麗に磨いて使ってますよ。あと60年くらいは使えるそうなんです。僕たちと出会ったことで桶の新しい歴史が続いていく。僕らも、先祖がそうだったように、今、まさに文化や歴史を作っている最中で、それを子どもたちに遺していかなければなりません。古民家を再生して、そこに集まって、竈でご飯を炊いて、古い道具を手入れして使い、年中行事を大切にして、掃除をしてモノと自分を磨き、そんな学びを実践することで、その大切さが共有できる。この聴福庵もBA (Blockchain Awakening) も、そういう“場”なんです」。先に紹介した飯塚の「「ブロックチェーンストリート構想」も、飯塚の歴史に学び、その歴史の連続の中にある取組みであることがよくわかる話だ。
東京から飯塚の古民家に移住して
聴福庵での野見山さんとの話には、株式会社カグヤ 取締役 宮前奈々子さんにもご一緒してもらった。「私がカグヤに入社したのが2008年8月で、私にとってはカグヤが3社目になるんです。最初に勤めた会社には、特にやりたいことがあったわけでもないのに、あたりまえのように大学まで行かせてもらい、あたりまえのように大企業に就職できて、なんとなく一安心と思っていたんですね。ところが、そのうち学生時代の友人たちがやりたいことを見つけ転職をしたり、学校に通い出したりしているのを見て『やばい、私はこのままでよいのか? 』と焦り、葛藤する日々が始まります。でも、当時はやりたいことが明確ではなく、ただ『他に何かがきっとある。ここではない』と思いながらも、いろいろな言い訳をして具体的に行動しなかった。そうすると『こんな自分はもう嫌だっ! 』と限界に達して、何ができるか分からないけど、今のままの自分では、自分が自分を嫌いになってしまいそうだから『辞めることからはじめよう』と決意するわけです。これが、私の“独立記念日”だったような気がします。
そのあとは『自分の労働や今までの経験が、何か社会貢献、環境貢献に繋がればいいなぁ』という思いから初めての転職活動をしました。2社目に勤めた会社は、発展途上国に学校を建てたりしている会社でした。前職を活かし経理職としていざ勤めてみたものの、入札して案件が決まるスタイルなので、入札がとれなければあまり仕事もなく、驚くほどヒマな日々が続きました。プライベートが充実していれば、仕事はそんなかんじでもいいかなぁとも思い、旅行をしたり習い事をしたり、環境系のボランティアをしたりといろいろと楽しんではいたものの、人生の大半の時間を占める仕事にやりがいが持てないのは、自分にとっては勿体ないことでもあり、どこか物足りなさもありました。そのうち会社の体制などにも違和感を抱えながら働くこと、まっすくではいられない働き方にはどこか後ろめたさもあり、なにより自分自身へ嘘をついているようで耐えられないものがあり、結果として次の仕事を探すことになります。3社目は、理念に忠実で、自分に正直に働ける会社であることは絶対に譲れない! と思い、たくさんの企業と面接を行う中で『企業理念はあるけど、そこまで本気じゃないよ』とか『CSR活動は企業PRのためがほとんどだよ』といった反応をいただくことも多くて。そんな中で、出逢ったのがカグヤでした。そこには、掲げた理念を本気で貫こうとする社長がいました。そして、面接で頂いた会社案内には『人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に』という森信三さんの言葉が書かれていて、『私が探していたのはココだ』と感動したことを覚えています」と振り返ってくれた。
実は、宮前さんは元々、カグヤの東京のオフィスで仕事をしていたのだが、2021年7月、飯塚に移住する。移住先に選んだのは10数年も空き家だった藁葺き屋根の古民家だった。「最初にこの家に出会った時は、別に移住するつもりはなくて、ただ古民家を見に行っただけだったんです。それがさまざまなご縁に恵まれてこの家を再生しようというプロジェクトの動きになって、これからこの場所で古民家甦生と暮らしの甦生をしながら、よりよい社会を次世代に繋ぐためのモデル事業にしたい、そのためにはきちんとここで暮らして、自分が住むためだけの家ではなく、公の場として開放できたり仕事でも利用できるような“場”にして、繋がりや心の豊かさを大事にした新しい働き方 (生き方) を実践したいと思えるようになったんです」と宮前さんは語る。再生された藁葺き屋根の古民家は「和樂 (わら) 」と名付けられた。「私が飯塚に移住して体験していることは、日々の暮らしのことでもあるけれど仕事でもあるんですね。ここでのさまざまな体験を通して、カグヤが追求している『暮らしフルネス』を自分自身も深めている最中です。カグヤの取り組んでいることを皆さんにお話しすると『野見山さんは特別な人だからできるんですよ』とか言われることが多いんですが、私みたいな、なんにも特技を持っていない普通の自分でも、こうして自分らしく生きていける何かの証明、希望になったらいいなって思っています。そのうち気が付いたら『宮前さんだからできるんですよ』って言われ始めたりしていて、あれ?ちょっとそれはどうなのかなぁと思ったりもします」と宮前さんは笑う。
野見山さんが続ける。「藁葺きの古民家には、先人たちが僕らに遺してくれたものがたくさん詰まっています。藁葺きの屋根は、お米の稲藁を使って屋根を葺くんですが、地域の皆さんのたくさんの力が合わさって初めてできるものなんですね。大きなものになると100人くらいが集まって、みんなで稲藁を屋根の上に運んでいくんですが、これは機械ではできないんです。一人づつ稲藁を手渡しで渡して葺いていくやり方でしか作れない。実際に『和樂 (わら) 』の屋根の修復の時も、職人さんはもちろんですが、地域の皆さんにもたくさん手伝ってもらって作業をしています。そもそも、その稲藁の元になる米作りだって、決して一人の力ではお米は作れません。地域の皆さんで力を合わせて田植えをして、稲を育てて収穫して、お祝いの行事をして、藁をストックしておく。その藁は傷み始めた屋根の修復のために順番にみんなで分け合って葺き直す。こういう、一つの共同体の相互扶助の関係性を “結 (ゆい) ” と呼びます。相互扶助なので、お互いに利害関係で繋がっていたり、報酬がもらえるから力を貸しているわけでもないんです。それぞれが自立した価値観と欲求に従って、やりたいと思うから助け合っている関係性。実は、古民家を再生して先人たちの暮らしに学ぶ時に、この “結” の関係性を学び実践することが、非常に大事だと考えています。先にお話しした飯塚の『ブロックチェーンストリート構想』でも、エンジニアたちがDAOをデジタルの世界で実現しようとしてがんばっていますが、リアルなDAOというのが、まさにこの“結”なんです。宮前さんが移住してきた『和樂』は、宮前さんのマイホームであり、かつ“結”の実践の“場”として、たくさんの学びがそこにはあります」。
そして『暮らしフルネス』という働き方へ
「僕たちカグヤが提唱するものに『暮らしフルネス』というものがあります。簡単に言えば、働くために暮らす (生きる) のではなく、暮らす (生きる) ことを中心に置いて、その中に働くことが含まれるという考え方です。よく言われる働き方改革とは違って、暮らし方そのものを変えて、心を健康にする暮らし方を基盤にした上で働き方を変えるというものです。先人たちの里山の暮らしというのは、自然と共生して、人間のリズムではなく自然のリズムで暮らしていました。食事の準備をすること一つとっても、火を起こすための燃料を確保し、竈の準備をして、そもそも食材を用意するところから考えると、それだけで大変な“仕事”でした。今は、いろいろと便利になったり流通が発達して見えなくなったりして、日々の暮らしにかかる手間は随分と減りましたが、その時間で何をやっているかと言えば、社会の求めに応じた役割を果たすための仕事です。その仕事の時間でも“そうは言っても仕方がないんだ”と内側の自分を無理矢理に押さえつけて生きてしまう。仕事以外の時間は“余暇”と呼ばれて、おまけみたいに扱われて、まるで仕事をするために生きているみたいです。子どもたちが見る親の姿が、仕事で消耗しきった疲れた顔ばかり。そんな生き方は、多分長くは続かないし、子どもたちに遺すべきものでないことは、もうみんな分かっているはずです。特に、今みたいに、地球全体の資源や環境が危機を迎えていて、コロナ禍とか戦争とか、何が起こるかわからない時代になって、何かわからないけれど『今のままじゃダメになる』って多くの人が感じ始めていると思うんです。僕らは、先人たちが遺してくれたように、『子どもたちが幸せで永続的に暮らしていけるように』遺して渡して、続けていく責任があるんです。そのために僕らには何ができるのか? まずは暮らし方の価値基準を変えなければならないと思います。カグヤはそのための学びと実践の“場”を作り続けていこうと思います」。話の最後に、野見山さんはこう語ってくれた。